【3】どんな「気付き」が「得られる」?
〔B〕他者へ情報を伝える難しさ (その2)

この辺りのことは3つぐらいの例にとどめておきます。こういう風に細々といっぱいいろんな技術の問題はあるんですが,こういうテクニカルなことの前に,実はこの作品が抱えている一番大きな考え直すべき点はですね。この制作チームに聞いたんですけど,彼らは,ゴミが落ちているところがあまり手近になかったので,ゴミを自分達でまいては拾って,このシーンを撮影していたんですね。

そうすると何がまずいかと言いますと,今日のこのビデオ発表会の趣旨は「みんなで作品を見て,みんなで作者が伝えたいテーマは何かということを当てっこする」という形でした。実はこの作品の制作班の子達が用意したテーマというのは,「積極的に環境を考え,海や川を守ろう」というものでした。これを伝えたかった。ところがみんなから出てきた回答は「海や川を守ろう」という言葉だけで,要するに「積極的に」という部分と「考え」という部分とが見事に脱落してたんですよ。制作者が伝えたかった「積極的に考え」という部分が全然受け手に伝わらなかったんです。なぜ伝わらなかったんだと思います?これはねえ,彼らが演技をしているからなんです。もちろん,見てる人達は「あっ,こいつら演技してる。嘘ついてる。」とは気がつかない。そこまでは気がつかないんですけど,でも「こいつら何か,本当っぽくないな。真剣じゃないな。」ということはねえ,映像で見て無意識のうちに感じ取っちゃうんですよ。つまり,もしこの子達がここで横着しないで,本当に笠岡の海をきれいにしようと思って,本当に落ちているゴミを一生懸命探し回って拾っていたら,このシーンていうのはもっと真剣になるんですよ。本当に必死になって拾っているシーンになるんです。「あったあったあった!」って拾ったり,…。そういうシーンになるんですよ。これはもう楽々と拾っているわけですよね,自分たちでまいてるんだから。その場でホイホイと拾えるわけでしょ。だから見ている人達にも拾っている彼らの熱意というものが感じられない。これがホントに《映像》っていう物のすごいところなんだけど,《嘘ついてるな》とは見抜けなくても,《真実でない》から見ている人を揺さぶらないんですね。結局この子達は,海をきれいにしようと言っているけど,本当は撮影の前と撮影の後で笠岡の海はちっとも変わっていないんです。自分がまいたゴミを拾っているだけなんだから。何もきれいになってはいないんですよ。その嘘っぽさが無意識のうちに画面を通して伝わっちゃってるもんだから,見ている子どもたちに結局「積極的に考え」という彼らが一番伝えたかったメッセージが伝わらなかったんです。制作者が「積極的」ではないし,本気で「考え」ていないから。っていう非常に厳しい現実があるわけなんですね。

この点を今日の発表会で指摘されたことで,このチームはとても大きい気づきを得ました。つまり「こういう誘惑ってあるんだな」っていうことに気づいたんですね。彼らはとにかく,なるべく海のゴミを一生懸命拾っているというシーンを効果的に視聴者に伝えたくて,良かれと思ってやったんですよ。ほとんどのテレビ番組で「つくり」とか「やらせ」とか言われるものっていうのは,表現者は良かれと思ってやってるんです。その方が分かりやすいだろうから,伝わりやすいだろうからと思ってやってるんです。その誘惑に彼らもここで実際に図らずもハマったことで,彼らはこれからテレビを見るとき変わりますよ,ホントに。「これ,俺たちがゴミ拾いをやっている時と同じような撮り方をしてるんじゃないかな。」っていう視角が芽生えますから,簡単に鵜呑みにはしなくなります。それがつまり先ほど言いました「情報を伝える難しさを経験すると,情報を受け取る難しさが分かる」という効果です。だから彼らは,全然シュンとする必要はなくて,これやって本当に良かったね!というのが今日の僕の感想です。

そういうわけで今日の副題の「制作体験」に関しては,《受け取り方》が鍛えられるという副産物もありますし,それからとにかく独りよがりな表現では相手に自分の言いたいことが届かないから,もう徹底的に受け手に対する思いやりをもって「これで相手の人は分かったかな」「相手の人に聞く耳を持ってもらえているかな」ってことをとことん考えて表現するという,今後の社会で必須のトレーニングが積めること。そして今言いましたイメージ操作の落し穴に気付く眼力がつくということ。というようなことを学んでいけるのがいいかなと思います。

これは余談ですが,その次に書いてある「立場の逆転 少年院の更正プログラム」というもの。少年院の人にあったときに,なるほどなと思った話なのですが,立場を入れ替えると本当によく分かるようになる。少年同士の殺人事件で,友だちを殺してしまった少年に対してある少年院がやったプログラムというのが,「殺した相手のご両親に対して詫び状を書け」と言ってある日書かせたんですね。そしてそれを出さずに次の日,その詫び状を書いた少年自身にまた手渡して,「さあ,殺された少年の両親になりきって,この詫び状に返事を書きなさい。」ということをやったそうです。つまり被害者の両親の気持ちになりきって昨日自分が書いたごめんなさいの手紙に返事を書いていかなければならない。これは本当に,完全に立場の入れ替えをしているわけですね。大変効果があったそうです。そういう例を見ても分かるように,情報の受け手であることが我々は圧倒的に多いですから,送り手がどういう心理でやっているかを分かろうとしてもなかなか分かりません。発信する側にガラッと立場をチェンジしてやってみることの効果というのは大きいと思います。
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