2 パネルディスカッション の記録
<木原>
メディアとのつきあい方学習を学校教育に位置づけようということで、今、先ほど、この前のセッションで、ひとつの典型的なメディアリテラシーの育成というか、メディアとのつきあい方学習の典型例というのをみんなで再確認したと思うんですけど、もっとほかにいろいろやり方はないのかなぁとか、こういうやりかたをしていくといったいどういう良さが子どもたちに出てくるのかだろうか、といったようなことをもう少し広げることを、このパネルディスカッションでは、狙っていきたいと思います。
それで、こういったメンバーでやっていきますけど。

少し趣旨説明をさせていただきますと、メディアリテラシーの育成といってもいいですし、メディアとのつきあい方学習を実践するというのには、やっぱりこれまでは難しさがあった、やりにくかったというように思うんですよ。
そもそもメディアリテラシーという言葉そのもので意味するものは結構違うんですよね。
先ほどやっておられた中村先生のあのような実践を見たら、全然メディアリテラシーじゃないという一群もいますよね。世の中には。
いや、そうじゃなくて、アレが良いんだという人もいて、系譜というか筋というか、それはこうたいへん広がりを見せているんです。
分かりにくいですよね。
何を持ってメディアリテラシーというのか。
先ほど言いましたように、先ほどの、前のセッションの写真を比べてとか、見出しをつけてとか、あれは、非常に良い例だと思うんですけど、その他、多分、影山さん、高橋さん、それから吉野さんといろいろユニークなメディアリテラシーの取り組み方を見せてくれると思います。

もう少し現実的に言うと、メディアリテラシーの育成とか、メディアとのつきあい方ということは残念ながら学習指導要領には、わが国では位置づいていません。
これ外国によってはですね、例えばカナダ、あるいは台湾、こういう国では、こういう教科でこんな取り組みをすると良いということが、ある程度組織的に計画され、また実践されています。
そうすると安定的にできるけど、しかし大胆なことができない、これ一長一短なんですけれども。
わが国は、どうしても学習指導要領に位置づいていないということで、やや日陰者扱いされるというか、学校の中でメディアリテラシーをやっているとですね、あいつは変わり者だとか、本当にそうなのかもしれませんけど、そう言われることもあるんですよね。
どういう位置づけ方がありうるのかということを、吉野さんあたりから出てくるんじゃないかと思うんですけど、それも少し見ることができれば良いなと思います。

しかし私は、1番重いことは3つ目だというふうに思っています。
それは何かと言うと、わが国や、韓国、中国のような、どちらかと言うと、教師という存在が子どもたちにとって権威的というと言葉が悪いんですけれど、名上の人であり、そして尊敬しなければいけない人だ、というような価値を持った文化土壌ある国では、どうしても教師は、自分の言うことを子どもたちに正確に受け取ってもらいたい、正しいということを前提にして学んで欲しいというふうに願いがちです。
そうすると、メディアリテラシーの特に批判的視座の部分なんかを強調することは学校経営や授業の展開をやりにくくしてしまうんですよね。
そうした意味から、メディアリテラシーの育成ということを考えにくい、そういうムードがあるじゃないかと思うんですけど。
そのあたりの克服の術みたいなものを、今日は3人からきっと出してもらえるんじゃないかと、期待しております。

まとめて見ますと、このパネルのねらいは、メディアとのつきあい方学習、あるいはメディアリテラシーの育成という問題、これの魅力と普及の可能性ということを、広く、浅くても構わないから広く考えてみたいと思います。
どうせまとまらないと思うんですけど、幸いにして後で大先生の講演があるわけですから、どんなにこのパネルの場が乱れても、最後はきちんと堀田先生が締めてくださる、そう信じて1時間いろいろと頑張ってみましょう。

具体的な進行なんですけども、このように考えています。
まず、メディアとのつきあい方学習と、とりあえずこれからはそう呼んでいくことにしますけども、これをどうして始めたのか、変わり者だと言われてもやり始めた理由は何なのかと、あるいは自分のメディアリテラシーの取り組みというものは典型的にはこういうものだ、というふうなことをごく簡単にご紹介いただきたいと思います。
きっと3人それぞれ、出発点やあるいは強調点というのは違うんじゃないかと思います。
皆さんは、それらを自分とつないで、是非考えていただきたいと思います。
2つ目は、いつまでも日陰者というわけにもいかないので、やっぱり良い意味で仲間を増やして行きたい、あるいは学校に広めて行きたいと多くの人は思っていると思います。
そのときの作戦というか工夫、これもまた皆さんが吸収できるものじゃないかと思いますので、個人の中であるいは学校や地域で、いかにしてメディアとのつきあい方学習を広めてきたのかという点に絞ってお話をしていただきます。

ここまでは、3人に言ってあるんですけど、壇上で宿題を出したいと思います。まとめとして、こういうことをお願いしたいと思います。
このパネルの50数分を経て、メディアとのつきあい方学習を学校学習に位置づける、というタイトルのもと、じゃぁ、どうやって位置づけるかということをキャッチコピーで表していただきたいと思います。
自分の発表で一生懸命になりながら同時並行して、キャッチコピーの作成を50数分間でしてください。
ああ嫌なやつだと言う顔をしましたね。だけど、そういう緊張感があった方がいいと思いますので、これをやっていただきたいということです。パスはありませんので。
それぞれの人、考えながらやっていただきたいと思います。

ということで、私のイントロは終わって、早速第1部に入りたいと思いますが、
メディアとの付き合い方学習の出発点と自分の強調点ということを、影山さんの方からお願いします。

<影山>
津山市立西小学校の影山と申します。私はこのつきあい方学習を始めて2年になりますので、まだ拙い実践しかできておりませんが、お話したいと思っております。よろしくお願いいたします。

まず、私が始めたきっかけですが、皆さんも感じられていると思いますが、バラエティ番組などで使われている言葉、これによって相手を深く傷つけたり、罰ゲームをそのまましてけがをさせたりというようなことが頻繁に起きています。それとコマーシャルでみたものをだいたいの子どもが買っている、そういう状況を見ていました。
それから、もっと問題に思ったことは、ニュースや新聞などの情報の伝え方です。
みなさん、たぶんご存知だと思いますが、津山ではたいへん痛ましい事件が起きました。私の学校の隣の学校の子どもなんですが、あの子どもの事件について、新聞やニュースでは、本当にごく一部だけを伝えて、それを大人の方があたかもサスペンスを解くかのように受け取っています。
そのことによって、被害者がまた被害者になるというのを間近に見まして、本当に大人こそ必要ではないかと思っています。
それとやっぱり小さい頃からこういう学習は大切ではないか、と考えています。

私が取り組んできたつきあい方学習はご覧の通りなのですが、今日はCM作りについてお話をさせていただこうと思います。
このCM作りは、5年生の社会科で「私たちの暮らしと情報」という単元があります。その発展学習として、総合的な学習の時間を使って行いました。
本井伝豆腐というのは、学区にある昔ながらの作り方をいまなお引き継いでいる豆腐屋さんです。3代続いています。

このCM作りを通して、ここの書いてある3つの特性が理解できればと考えました。
その中でもとくに、制作者の意図しだいで、同じ素材でも異なる情報になるということが身についていければ良いなというふうに考えました。

そこで、私は、人・店・とうふ・職人技という大きなテーマを設定しました。そして子どもたちにサブテーマを設定させました。
子どもたちは、このサブテーマがよく伝わるようなコマーシャルを作るという活動に入りました。

この単元の中では、NHKの学校放送ですとか、専門家の下村健一さんからのアドバイスをいただいたり、相互評価をしていくことをしました。
この単元を通して、受け手と送り手をいつも体験するような活動を随時取り上げていきました。

それでは、メディアリテラシーの高まりが感じられた活動例をいくつか紹介します。
CMの構成表の中では、校正力が高まってきたように思います。それは発言の中から感じられました。
また、編集の中では、視聴者の方を意識した情報の選択力、こういうものがついてきたように思います。
そして、相互評価の中では、サブテーマに沿っていないよとか、情報が多すぎてテーマがよく伝わってこないなど、厳しい評価が取り交わされました。

それでは、4つコマーシャルがあるのですが、時間の関係上、2つだけコマーシャルを見ていただきたいと思います。

今のは、「家族ぐるみでつくる熱い想いのお豆腐や」というコマーシャルでした。
次に見ていただくのは、「ご近所に親しまれている昔ながらのお豆腐や」です。

今、4本のうちの2本を見ていただきました。
このように制作者の意図しだいで、同じ素材でも異なる情報になるということは、もう当たり前に分かっている事ではあるんですが、このように体験を通して、やはり子どもたちの意識付けは深まったように感じています。
そのことは、半年後、今6年生になった子どもたちにアンケートをとったのですが、「TVのニュース番組や新聞の情報は全て正しいと思いますか?」という問いに対して、メディアの特性を踏まえた回答をした子どもがたくさんいました。

これからもこういう実践は続けていきたいと考えております。

<木原>
せっかくビデオが流れたので、ちょっとフロアの人に感想を聞いてみたいと思います。
あのビデオを見てどう思われましたか?

<会場>
最初のビデオは、お店にすごく焦点が当っていたのですけど、2番目のは、近所の人の反応、買い手の反応を入れていたので、それぞれ見た人によってお店の印象がすごく違うなと思いました。

<会場>
2本目のビデオで買い手の情報が出てた、それが子どもたちが探して取材してきたものですか、すごく説得力があって伝わってくるものがありました。

<木原>
心がけておいてくださいね。いつお聞きするかわかりませんので。
今、ビデオ、お褒めの言葉が出たと思うんですけど、そのような作品ができてきた経緯の中で、専門家の人だとかNHKの教育番組がとおっしゃったんですが、どういう役割を果たしましたでしょうか?

<影山>
まず、構成表のところが出てきたと思うのですが、NHKの学校放送の方の、構成を変えると話が変わるというような、題材があります。それを使って、子どもたちがはっと気づくことがたくさんありました。なるほど入れ替えるとわかりやすくなるなということがありました。
それから、アドバイザーの下村健一さんにお話をいただくことで、自分たちが納得するまで取材をしないといけない、というようなことも、子どもたちの意識の中でには深まったように思います。
それから画像は自分、取材をする方がやはり「すごい」と感じること、その情報を取り上げるということで、
子どもたちがもう1回映像を見直して、「やはりここだ」というふうに作り直した部分がたくさんありました。

<木原>
それでは、もっと議論もしたいんですけども、次のあるいはその次の発表を聞いてからまた、一緒に議論して行きたいと思います。
それでは、高橋さんお願いします。

<高橋>
情報教育センターの高橋です。
PART1は、私のメディアとのつきあい方学習の出会い、始め方、そしてどんなことをやっているかという話です。しばらくおつきあいください。

このスライドはいろいろなところでお示ししてるんですけど、私が衝撃的な、メディアとのつきあい方学習を始めるに至った、後押しをした、子どもたちのイラストです。
こういうコメントをつけて、これを平気で印刷してくれと頼んでくる子どもたちの背景は何かと探ったら、やっぱりバラエティ番組の情報を鵜呑みにして、それをそのまま受け売りして使っているということがあるんですね。
そのことをすべてバラエティ番組が悪いなどと言ってバラエティ番組のせいにする気はないですけども、少なくともそれを自分の中に取り込んで、無批判に自分の言葉として再発信しているということに、やはりメディアの受け止め方を子どもたちに学習させる必要があるんじゃないかと感じたわけです。
これ5年位前のことなんですけど、そこから本格的にスタートいたしました。

5年間こういうことやってきて、私は今、メディアとのつきあい方学習では、子どもにつけたい力が大きく分けて2つあるなというふうに思っています。
縦軸にとっているのが、情報の特性を理解すること、そして小学生ではなかなか難しいんですけども、情報の社会的な背景を理解すること、そういう力を育てるという方向です。
そして、横軸にとっていますのが、いわゆる表現力ですよね。意図を明確に伝えるために、工夫する表現力、発信する力。
どっちかというと、上の方が情報の受け手の言葉、下の方が情報の送り手の言葉になるんですけども、実は、これは全く別物ではなくて一体なんだ、ということをこれから見ていただければお分かりになると思います。

今を去ること12年前、私がまだ初任者の学校にいた最後の頃なのですけれども、「お前はすでにもう死んでいる」と北斗の拳のまねをして、ふざけあっているのか喧嘩しているのか分からないような子どもたちの状況が頻繁に目に入りました。これを見て、おかしい、何か間違っていると思って、禁止指導をしたんですね。つまり、TVとか漫画の情報を持ってきて、こういうものに影響を受けちゃいけないよ、と禁止指導をした,そのことを今でも覚えてます。
こういう時って、黄色で示してますけど、送り手の考え方なんて、まるで教師は持っていない。受け手として気をつけろという指導なわけです。

これは4年ぐらい前ですけど、カブトガニプロジェクトというのを総合的な学習の時間にやりました。交流校の友達に、カブトガニのことを分かりやすく伝えようと。
すごく時間をかけて、子どもたちもいい活動ができたと思うんですけども、残念ながら教師側の意図として、やはり受け手の見方とか考え方というものの指導がなかった。ということで、送る側の力は育ったけど、情報の受け手としての力が育っていないのです。

この後ぐらいから自分にメディアとのつきあい方学習の視点が備わってきたんですけれども。
例えば、カブトガニが「絶滅する」「絶滅しない」という全くメッセージの違うビデオを作らせて、なぜそのようなことが起こるかというと考えさせた。つまり、同じ題材でも正反対のメッセージが映像メディアを通すと伝えられるねということを、体験的に学ばせたんですね。
このあたりから、少し情報の特性理解についての学習も、私自身意識して取り入れて来ました。

これは、このMLK5結成の土台となる実践です。「マスメディア探検隊」という実践を3年位前に行ったんですけども、ここは、まさに、送り手と受け手の立場をともに体験しながら、情報は発信者の意図で構成されているということをつかませた実践。
そしてそれをさらに合理化、スリム化、バージョンアップしてその次の年、中央小学校に転勤してやった「メディアの達人になろう」プロジェクトというのも、同じ位置づけだと思います。

でも最近は、こういう長い何十時間という単元ばかりやっていても普及もしないし定着もしないということで、小さな単元をいろいろ開発して取り組んだらどうかと思って実行しています。

昨年度、4年生を担任して、こういう小さな単元をいろいろやったんですけども、4年生でも情報の送り手としての視点、力というものが、高学年に負けず劣らず十分に育つと実感しました。
が、やはり社会的な背景に根ざした、情報を分析する力のようなものはちょっと4年生には難しい。だけど、情報の特性理解はある程度できると考えています。

こういう風にいろいろと5年間くらいやってきて、このメディアとのつきあい方学習で大事な要件というものを3つ、私は感じ取りました。
1つ目は、学習活動の中に、受け手と送り手を共に体験する場面を必ず位置づけるということです。
そして2番目に必ず批判的に分析する活動を入れる。批判というのは、文句を言うということでは決してありません。例えば、相手の発した情報を見て、「私だったらこうするけど、あなたどう思う?」というふうに代案を示しながら、相手に対して意見するということですね。そういうのが批判的な態度だと思うんですけど、例えば。こういう場面を学習に取り入れる。
もうひとつ3番目は、子どもの「ものの見方・考え方」は一般に一面的ですから、それを広げてあげるような資料だとか言葉がけだとか、そういうもの与えるということ。
この3つの要件を満たしたら、メディアとのつきあい方学習が成立するということを、感じています。

昨年やった実践をひとつだけ紹介したいと思います。給食るるぶという実践ですけども、今日お配りしている学習パッケージが、この日常活動のまとめの授業に位置づきます。そして今お話しするのは日常活動、年間を通しての取り組みです。
今でも中央小学校のホームページ上にリンクボタンがありますけど、こういうものです。
子どもが給食の写真をメニューを決めて撮って、キャッチコピーをつけているんですね。
キャッチコピーは何を参考にするかというと、「るるぶ」という雑誌です。「るるぶ」はプロが作ったキャッチコピーです。それを模倣することで、子どもたちは、このキャッチコピーを通して給食はおいしいよ、笠岡市の給食はすばらしいよ、ということを毎日発信していくという活動なんですね。
まず給食の時間に撮影をして、休憩時間にキャッチコピーをソフトウェアを使って作って、そして帰りの会でプリントアウトしたものを見せながら紹介して評価するという流れ。またネット上にも掲載しますので、電子掲示板でも評価を受けるという仕組みでやっていったわけです。
この実践を通してどんな力が育ったかと言いますと、例えば、「キャッチコピーは、商品の良さだけを伝えて良くないところは伝えていない」という、社会的な経済的な側面から見たキャッチコピーの特質みたいなものを子どもたちが体験的に捉えることができます。4年生でも十分捉えられました。
そして制作者には意図があって、それが文字情報と写真情報を組み合わせいろいろな工夫をして、ありとあらゆる手段をつかって見せていくと、相手をその気にさせるんだ、と、そうことも体験的に4年生の子どもでもつかんでいけたと思っています。

上のほうはともかくとして、下側のほうですが、これは既存の教科でも私たちがやっていることなんですね。逆に言うと、ちょっと新しい視点を加えたらメディアとのつきあい方学習がすぐできます、という例を、ほんの一例ですけど示したいと思います。
国語の「書くこと」の指導要領の目標の中に3,4年生ではこういうこと、5,6年生ではこういうことが書かれています。実はメディアとのつきあい方学習も同じなんですね、この部分。こういうことを学習を通して子どもたちに力をつけてやりたいです。国語とメディアとのつきあい方学習はアプローチの仕方が違うかもしれないけど、つけたい力は同じなんです。
だけど、ちょっと視点を変える、つまり、情報にはこういう特性があるとか、社会的な文脈・世の中から見たらこの情報はこうだとか、そういう視点をちょっと加えるだけで、これは十分メディアとのつきあい方学習になるということです。
つまり、国語で先生方はこういう力を子どもたちに十分育てられているわけで、あとは少し情報の特性とか社会的文脈からの視点を持っていただいて指導にあたっていただくだけで、メディアとのつきあい方学習になりますと、私は思いますし、皆様には是非試していただきたいと考えています。

<木原>
長い間、時間をかけてメディアとのつきあい方学習の趣をどうやら広げられたような感じなんですけど。
吉野先生、この実践について何か感じることを、率直にお願いします。

<吉野先生>
給食るるぶは、毎日自分たちが食べている給食をいかにおいしく写すかということで、本当のるるぶと比べる、そのことで、こうやって写すと、写されているんだという背景を子どもたちが体験しながら学べる実践だなと思いました。

<木原>
はい、ありがとうございました。
あと、さっき1番から6番まで取り組みのまとめ図のようなものがあったと思うんですけど、何かちょっと気になることを言われましたよね。1,2番をやられた後、これじゃ駄目なんだと言うことで、送り手と受け手の両方の要素を持つ3番を始められたということですけれども、それに至った経緯というかきっかけは何でしょうか?

<高橋>
この時期に、もう一人のゲスト堀田先生に“わらをもつかむ思い”でメールを送って、いろいろなことをアドバイスをしていただいていました。メディアとのつきあい方学習、その当時は、いわゆるメディアリテラシー教育と言っていましたけど、これは情報教育と“別もの”と思っていたんですね、感覚的に。
ところが、堀田先生のお話を聞いたり、いろいろやり取りさせていただいていると、これは“情報教育”だと思い始めたのです,そのとき。情報教育の目標には3つの柱がありますけど、そういったものが当然こういう活動を通して培われていくと。だったら、もう少し視点を変えて両面から見ていかなきゃな、と。その時、この取り組みに対して広い視点を与えていただいたことがきっかけになったと思っています。

<木原>
そう言われたら、先生、聞きたくなるですけど、時間がないので、後で講演の中に含んでいただいて、含まれたかどうかは、後でチェックしましょうね。

それでは、3つ目の実践発表というか、ご報告にうつりたいと思います。吉野先生お願いします。

<吉野>
富士市立元吉原小学校の吉野です。よろしくお願いいたします。
なぜ本校がメディアとのつきあい方学習を始めたかと言いますと、本校は初めからメディアとのつきあい方ということは意識していません。
平成12年度から3年間、文部科学省の研究開発学校でして、情報化のカリキュラムを作成するという開発の指名がありました。
で3年生以上年間70時間のカリキュラムを開発しました。
このカリキュラムの内容は、メディアの活用とか情報モラル、情報社会に関する責任・知識というようなものについて、3年生から学年が上がるにつれて学習が重なって深くなっていくようになっています。そのようなカリキュラムを開発しました。現在は、開発学校ではありませんので、このときに開発したものを総合的な学習の時間の中で行っています。
メディアとのつきあい方学習と絡めて、本校の実践を見たときに、本校でやっていることは、メディアを使って出来ることとやって良いことを教えているというふうに捉えました。
実際に、どのようなことをやっているかというと、ごく一部なんですが、著作権、伝え手の意図について考えたり、個人情報の保護、というような内容を扱っています。
どのところで扱っているかと言うと、ほとんどが総合なんですが、総合から国語科と関連させたり、調べ学習では、各教科もちろん調べ学習がありますので、その際に著作権というものをもう一度子どもたちに考え直させたり、ということをやっています。
他学年でやったことが、次学年でもう一度わいて出てくるような学習を組んでいるつもりです。
今日は、その中で「伝え手の意図」と言うことで、4年生の合成写真作りとコマーシャルということ、国語科から総合に発展した内容について、主に話をしていきたいと思います。

この写真をご覧ください。これは4年生が作った写真です。おもしろ写真館と言いますけど、どれとどれを合成しているかわかりますか?
背景は自分で探してくるわけです。それに、自分がこの背景に合ったポーズをとって、切り取るわけですが、この子の手前に影あるのが分かるでしょうか?影まで計算して写真を撮ってきているわけです。なぜかというと、影の向きがおかしいと、合成写真には使えないわけですね。
そのような活動をやっているんですが、何も人を騙すためにやっているというわけではなくて、ここに至るまでですけど、まず一番初めに、教師がいくつか背景を用意します。そして、その中から自分が合成写真を作りたいなぁという思いで、背景にあったポーズを考えます。
例えば、ゴリラでしたら、体育館のトイレの前に行きまして、なぜ体育館のトイレかと言うと場所が狭いですので、グループで散っていくわけですね。手にりんごとバナナを持ちながら、ゴリラにいかにもあげているような合成写真を作るわけです。
これは、ノリとハサミで最終的には作るわけですが、先ほどの象のものに女の子が座っていますけど、これは運動場でタイヤの上で撮ってきて、ノリとハサミでくっつけます。
子どもたちは本物らしい合成写真が作りたいという思いで、これは、貼っているものですから、触るといかにも合成写真というのが分かってしまいます。
そこでもう一度、「先生、コンピュータを使って作ってみたい」ということが子どもたちから出てきまして、コンピュータを使って合成写真を作るんですが、二度目に合成写真を作りますので、今度はもっと自分の作りたい、もっと自分の思いに合ったものにしたい、というような思いから、いろいろ背景だとか小道具だとか、ポーズを考えるわけです。
ポーズを考える、恥ずかしげもなく狭い場所でポーズの練習をして、みんなでスタートするわけですね。
子どもたちは回りに誰が写っていようが自分以外は切り取ってしまうので、背景はもう関係ないという思いで練習をしながら、いざ、自分がそれでも合った場所がありますので、快適な場所に撮りに行くわけです。
例えば、この子の作った合成写真ですが、この人物は、どこで撮ったかといいますと、なんと運動場にある水道のところに行きまして、腹ばいになって撮っているわけです。確かこれは6月のはじめでした。その頃はまだ水泳が始まっていない頃だったんですが、水着になってこの格好をしたのまま運動場にぽつんとお友達と撮りっこしてるわけです。
この女の子ですけが、「良い湯だな」というタイトルなんですが、洋服を着ているように見えますか?多分見えないと思うんですか実際に洋服を、このときの撮影用にタンクトップを着てきました。教室で取ったんですが、教室の机にわざと自分であごをのせまして、この子の持ち物は一本タオルだけです。タオルを頭にのせまして、そして写真を撮るわけです。
そんなことをしているうちに、巨人軍に入団している子どもも現れるようになりまして、一回コンピュータで作った作品を、みんなで見合うとどうなるかと言うと、「先生、著作権とか肖像権ってあるんじゃないの?」と4年生の子が話をしてきます。
これはなぜかと言うと、3年生のときに、よく意味が分からなくても、「人のものを勝手に使ってはいけません。それは使うときは、ちゃんと断ってから使いましょう。そういうのは著作権を持っていると言うんですよ」という学習を、概念をしていますので、このときに「先生、私たちのやってきたことは良いことなのかな、悪いことなのかな?」ということを、子どもたちが言いながら、身の回りの合成写真を集めてみようということになります。
初めは合成写真は一枚もないと言った子どもたちが、思ったより身の回りにたくさんあるという事実に気がつきます。思ったよりと言うよりも、合成写真だらけだったと言ったほうが良いと思います。
このようなことをしたときに、これは、子どものつぶやきなんですが、「先生ぼくたちは騙されているの?」と自分も騙した経験をしながら、「ぼくたちは騙されているの?」と言うんですが、そこで子どもたちに「合成写真の良いところと心配なところは何だろう?」と問いかけをしまして、子どもたちは自分たちなりに考えます。
出た結論は、「使って良いときと使っていけないときがある」、「じゃぁ、使ってよいときはどんなとき?」、「人に迷惑にかけないとき」。まだ4年生なので、犯罪ということまでにはつながらないんですが、だけど、人の顔を勝手にすり替えて配っちゃうのは良くない、というような意見も出てきます。
この合成写真というのは、主にねらいは情報活用の実践力という部分でした。ところが、これを繰り返していくことで、身の回りにはたくさん合成写真があって、著作権や肖像権、情報モラルにもつながっていくんだという、社会とのつながりにも考えることができるようになります。
現在やっている実践は、「コマーシャルを作ろう」というもので、実際にポスターを作っています。
国語科の「言葉にこだわる」という部分で、国語科ではキャッチコピーをしています。
今、制作をしているのはこのポスターなんですが、「道具もハッピー」というような言葉を考え、それに合った写真や背景について考えていく、そしてプロの物と比べる、というような実践をしています。

<木原>
はい、ありがとうございました。
同じ写真だったので、さっきのセッションで頑張っていただいた中村先生、どうでしょうか?吉野先生のご報告を聞いて感想を。

<中村>
おもしろいなと思いました。私も是非自分もやってみたい、あの中に自分が登場したいと考えました。子どもは生き生きと活動に取り組んだんだろうなと思います。

<木原>
はい、ありがとうございます。他の方にも2,3聞いてみたいと思います。

<会場>
子どもが自分たちが主体的に、次に次に考えていくところ、そこがすごいなぁ、そういうような単元構成がすごいなと思いました。

<会場>
やっぱり積み重ねがないとなかなか難しいんだなぁということを感じました。

<木原>
吉野さんの所は、学校を挙げてやっておられるわけですよね。そうすると、その前の2つの報告のように学級単位としてやっているときとは違った工夫や味わいがあるんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか?

<吉野>
はい、学校を挙げてやっておりますので、全学年、例えば自分が3年生だったときには、4年生の作品を見ていますので、そういうもので子どもたちがよりパワーアップして良いものを作っていく、または見抜いていくという感じはします。

<木原>
中にはやりたくないとか、そういうこと言う方はいませんか?

<吉野>
えっと、子どもですか?先生ですか?

<木原>
教師の方ですね。子どもはみんな楽しんでやると思いますよ。

<吉野>
それはまた後で話をしますけど、見張り役が・・・。

<木原>
見張り役ですか?はい、分かりました。

<<一部省略>>

今度は、さきほど出た話ですよね。学校とか地域だとか、あるいはもっと広く仲間と取り組むときに。
第1部では、それぞれがメディアリテラシーと言う場合に、共通項はもちろんありますよね。高橋さんが紹介してくれたような、送り手・受け手両方の経験だとか、あるいは、批判的な視座を大切にするということはもちろんあるんでしょうけれども、生まれてくるものに違いがあるんだ、いや、あっていいということは確認できていると思うんです。
問題は、それを個人の趣味ようにして終わらせるのではなくて、より組織的にあるいは発展的にしていくために、どうしたら良いのかという点につきまして、たぶん津山で頑張っておられる、というか苦労しておられる影山さん、まずご報告をお願いしたいと思います。

<影山>
それでは、どのように広めてきたか少し話をさせていただきたいと思います。
まず、私は、先ほどコマーシャルの話をしましたが、保護者の皆さんはコマーシャルを作って遊んでいるの、という感覚をもたれます。そこで通信や懇談等を通して、何のためにしているのかという問いに対して、こういうことが大切だから、ということを常に伝えてきました。それと、やはり先ほど話をしましたが、大人にこそいるのではないか思っているので、コマーシャルを一緒に分析してもらったり、ニュースを比較してもらったりというのを、お家の方と一緒に宿題をだしました。そして、コマーシャルの審査員にも参加をしてもらいました。
そういうことを通して、保護者の方に、これは学級通信の一面なんですけれども、これは何が伝えたかったかと言いますと、子どもたちが体験を通して学んだことを、実生活の中ではこのように付き合っていけたら良いなというような内容で伝えていきました。
そのことによって、保護者の方からは、コマーシャルやニュースについて今まではそんな見方はしなかった、これからはこういうふうに変えていきたいなと思いますというような反応が通信の返事として返ってきたりとか、会ったときにお話をいただいたりなどをしました。
保護者の方は、関係ができればすぐに理解をしていただけたんですが、校内の先生方です。校内の先生方は、大切なことだろうなとは思っていても、「どうやってするの?」とか「メディアの特性って何なの?」というふうに、少し引き気味です。「パソコンができないのに、できるわけがない」というのがよく聞く言葉でした。
そこで、先ほどもお話しましたメディアトレーナーの下村健一さんにアドバイスをいただくと、先生方の意識はころっと変わりました。このような実践は、「実生活で情報に関わるときに活かせる」「やはり、大切な学習だ」というふうに先生方の意識がころっと変わりました。校長先生までが言葉に重みがあるいうふうにと話をされていました。
ですが、まだまだ実践までには程遠かったんです。
そこで、先生方の話をよく聞いていると、「チャットの書き込みが原因だって?」とか「新聞やTVおかしいんじゃない」「携帯電話が大変なの?」「まんがの描写はいきすぎなんじゃないの?」という言葉が聞こえてきました。
「やめさせればいいが」というのを先生方はすぐ言われます。そこで私が「禁止指導でいいんですか?」というふうにお聞きしても、「そうじゃないの?」というふうに言われるので、次の手段として、これは情報教育センターの研修中で使われているシートを一枚お借りしてきたんですが、このことを用いて研修をしました。こういう資料を引用すると、とても効果的です。あっ、なるほど、と納得してもらえます。
そして、やはり教師自身が体験することが大切だと思っています。
そして、簡単にこれを研修に取り入れることで、授業にもすぐに使っていただけるようになりました。
これは、夏に研修したチャット体験です。このことを全職員で研修しまして、良い面と悪い面を、情報を体験しました。6年生の先生は、2学期にこのチャット体験をしてみようと言われています。
そして今、津山では、先ほど話しました、新聞やニュースの報道の仕方についてたいへん問題になっています。「影山さん、そろそろそういう研修をしない?」というふうに言われていますので、そういう面で研修をしていきたいと思っています。

<木原>
はい。大変いろんな良い作戦をコンパクトに言ってくださったと思うんですが。
では、続いて吉野先生の工夫を、さっきもちょっと出たと思うんですけど。

<吉野>
まず、カリキュラムとして位置づいているというのが、やはり強みだと思います。これがありますので、やってください、やりましょう、やらなきゃいけないのかな、といろいろ取り方はあるんでしょうが、位置づいているというところが良いと思います。
ただ、位置づけるときにも細かく書いてあります。この学習でこの時間にはどんなことをするのか、1時間または2時間、3時間くらいの内容で、学習の流れが分かるように書いてあります。先生たちはこれを見て、自分たちのクラスの子どもにあった内容に学習を展開、変えていくという形になります。
2つ目ですけども、担任の先生だけで行うのではなくて、2人体制で指導をしています。少人数加配というものが各学校にあると思うんですが、その加配教員が本校は総合と国語と算数であります。私の場合、総合で入っておりまして、入っているから各学年のたての系列を見ることできます。先生と相談しながら進めていくというようなことが出来るというのが、1つのメリットだと思います。
そして、いつでも気軽に公開ということで、もう、来るものは拒まずと言いますか、授業をたくさん公開していって、こんなことをやっていますよ、ということを、とにかく見せないと広まっていかないな、というふうに思っています。
非常に簡単ですが。

<木原>
もういいんですか?もっと言いたいことはありませんか?

<吉野>
ありません。

<木原>
はい、分かりました。では、高橋さんお願いします。

<高橋>
「どう広めるか」ということで。
この4月から指導主事という立場になったんですけれども、よく情報教育センターというので、「あなた良いわね、好きなことができて」というふうに言われるんですけど、なかなか自己矛盾みたいなものがありまして。
その1つは、国の施策の重点がシフトしていますね。
かつて情報教育に関するプロジェクトやいろいろな事業があったんですけど、今は「情報教育」ではなくて、「ITを活用したわかる授業」のための取り組みの方がどっちかと言うと重視されていて、こっちがクローズアップされているという現実があります。
当然そうなってくると、われわれ研修を受け持つ者もそれを受けた研修講座体系というのが中心になってきますし、来た方のニーズもコンピュータの操作を上手になりたいというのが実際ありますから、限られた時間の中だと、どうしてもそういう研修になってしまうんですね。
私は「メディアとのつきあい方学習」推進派と自負していますので、こんな実践の経験が本当に活かせないなあ、ということを、1学期の頃はよく葛藤し悩んでいました。ですけど、気持ちを切り替えて、研修講座充実のためにこの学習のノウハウを是非盛り込みたいと、夏の講座ラッシュの頃にはいろいろ作戦を立ててやってみました。
研修講座のスタート時に、指導主事は10分とか15分とか必ず毎回講話をする時間があるんですね。その内容はフルに「メディアとのつきあい方学習」がらみのお話をさせてもらいました。
それから、コンピュータを使って何かを作る研修ですから、受講者は表現、制作活動をするわけですよね。そこで、ただ作ってもらう、操作を覚えてもらうだけでなく、情報の特性の理解を促すような提示をしたりアドバイスをしたりすることを意識してやりました。
それから作ったものをお互い評価する相互評価というのを情報教育センターでは重視してやっているんですけども、そこもまさに「メディアとのつきあい方学習」のノウハウそのもの、受け手と送り手の循環をするように、そういうことを明確に意識して評価をしていただきました。
ここでは、講座で「情報の特性理解をどう促したか」という例を示したいと思います。
これ、今外国に視察に行っております太田指導主事なんですけど、彼にモデルになってもらって、教材を作りました。ビデオ編集の2日間講座の中で、ちょこっとだけ時間をもらって「私がこれから作ったビデオを2つご覧いただきます。それぞれ何が伝えたいのか考えて見てください。」と伝えました。
今から流すビデオは、時間の関係で音楽とか文字情報を含めたものを流しますけど、講座では最初、音楽も文字情報も入れずに、ただつなぎ方だけを見せて、考えていただきました。
では、まず1つ目のビデオをご覧いただこうと思います。

というのが1つ目のビデオです。じゃぁ、もう1つ見てください。

はい、お気づきになったと思いますけど、実は全く同じカットを並べ替えているだけなんですよね。
もうちょっと細かく見てみますと、上の方が「忙しい太田指導主事」、下のほうが「手早い太田指導主事」というメッセージを伝えようとしたわけですけど、これだけカットの位置が変わっているだけなんですね。
で、カットに意味を持たせてて、1の方では、車乗っているのは「所外勤務に出かける」ということで、下の方は「帰る」というメッセージにしているんですね。
上の方の部屋の全体像は、これから仕事がまだまだ続きますよという継続感を伝えて、下の方ではこれからビデオの中に登場してくるものの概観を示すようなイメージです。同じカットでも見る人に意味を違えて受け取らせているんです。
今は、音楽とか字幕を入れましたけど、これ全然入れなくても結構伝わり方は変わるですよ。で、文字情報で“無理やり”意図を明確に伝え、さらに様々な表現効果でもっと明確に伝えるということをやりました。
ビデオ編集講座の中でこれを見ていただいて、「ビデオ作品を作る際にはいろいろな“使える表現効果”があるんだなぁ」だけで終わって欲しくないんです!、ということをお話しながら講座を進めました。

<木原>
はい、ありがとうございました。
ここで、皆さんに少し自由にご発言をいただきたいと思います。
といっても、できるだけコンパクトに言っていただきたいと思うんですが。

<会場>
自分も、ビデオ作品を作らせたことがあるんですけど、やはりビデオ作品を作るのはすごく楽しくて、あぁ良かったぁというふうに子どもたちは思うんですけれども、でも、そのあとに、構成で違うとか、高橋先生が最後におっしゃったように、これが楽しかったで終わらないようにするための計画的な、前もった段階での工夫が大切なんだなと感じました。

<木原>
いろいろとご意見があると思うんですけれども、学校として体系的に進めていくためにも、あるいは、今、宮本さんがおっしゃっていたような、良い授業の、子どもたちの成果に結びつけるためにも、自分自身が授業のネタというか、言い方を変えればメディアとのつきあい方学習のアイデアとか、そのようなものをどのようにして膨らませていくのか、皆さん自身の日ごろの勉強の仕方みたいなものをここでご披露いただきたいと思うんです。
これは、3人の方に共通できると思うので、じゃぁ、高橋さんからいきましょうか。

<高橋>
頼まれた仕事を拒まないという中で、いろいろな発見がありますよね。
それと、研修会があれば日程が許す限り、家庭を犠牲にしているとよく周りからしかられるんですけども、足を運んで、いろいろな知見を広めに行きます。
そういう中で、まったく情報教育の話じゃなくても、メディアとのつきあい方学習の話じゃなくても、ヒントになることはいっぱいあると思うので、やっぱり自分の感覚を研ぎ澄まして勉強する姿勢というのは失わないようには心がけているつもりです。

<木原>
なるほど。直接、情報やメディアとのつきあい方じゃなくても、いろいろ関係するネタは、他の教育研究グループだとか、いろいろ研修会のなかに落ちているということですね。
はい、じゃぁ、影山さん、お願いします。

<影山>
私は学校の中にいるので、子どもたちの会話、先生方の会話、保護者の人の中の会話の中にヒントがあるなと思って、そういう視点で見ています。

<木原>
はい、分かりました。吉野さんどうでしょうか?

<吉野>
私も同じで、子どもと先生たちの話の中から授業のネタを拾うことが多いです。

<木原>
もうすこし、具体的に言ってもらえますか?

<吉野>
例えば、ポスターを、先ほどもありましたけど、写真が全部並んでいるものを、先生たちとみんなで見合いながら、「これは何かに使えるかねぇ」と職員室で話をしたり、という感じですね。

<木原>
それでは、影山さんにも、もうひとことお願いしたいと思うんですけども、今は、そうなのかもしれませんけども、そもそもメディアリテラシーでも良いですし、メディアとのつきあい方学習でも良いんですけど、そういうものの存在に気づいて、自分の中でその中身だとかやり方というのを膨らませていく際に、もう少し積極的な勉強の仕方というのがあったんじゃないですか?
急にメディアリテラシーのアイデアがどんどん湧いてきたんですか?

<影山>
いえ、そんなことはありません。やはり、先進的にされている実践例とかの中からもありましたし、自分の体験からもありますし、そういうところからです。

<木原>
はい、分かりました。
それでは、一応これで第2部を終えたことにいたしまして、まとめに入りたいと思います。
最初にご案内しましたとおりですね、3人の方にメディアとのつきあい方学習を学校教育に位置づける、これはいろいろな位置づけ方があって良いと思うんですけれども、そのために何をするべきか、あるいは、そういうことをどのように考えたら良いのかということを、ひとことキャッチコピーの形式でまとめていただきたいと思います。
たぶん、早く言った人がラクなのですが、誰から行きますか?やめましょう、高橋さんからは。やっぱり、遠いところから来た人を優先しないといけないと思いますから。

<吉野>
はい、ひとことで言う前に、いっぱい言ってもいいですか?

<木原>
良いですよ。いっぱいは駄目ですけど、コンパクトに。
<吉野>
はい、分かってます。
まず、カリキュラムとして年間計画として位置づけるということは本当に大切だと思います。
それと、一人、先ほどお目付け役と言いましたけど、みんなでやるからには、得意な先生じゃなくてその先生が下がること、と言いながらも出ちゃうことも多々ありすぎなんですが、やっぱり下がることが大切だと最近感じています、堀田先生。
そこで、考えたのが「みんなで鍛えよう、あなたもT2」、これは自分にも言い聞かせていることです。T1ではなくてT2です。

<木原>
はい、それでは影山さん、お願いします。
吉野さんに習って、ひとこと言ってからでも構いません。

<影山>
私の学校はまだまだですから、「簡単でだれでもできる、だれでもわかる」です。
「わかる」というのは、その意図というか、何が捉えたいのかというのが分かりやすいもの、という意味です。

<木原>
はい、それでは、高橋さんお願いします。キャッチコピーは短くてシャープなほうが良いってNHKの番組でやってませんでしたかねぇ?

<高橋>
これは先生方に広めるという意識でやったので。
「メディアとのつきあい方学習は情報社会の交通安全教育 あなたはそれを受けずに自動車を運転できますか?」

<木原>
なるほどねぇ。はい、ありがとうございました。
上手くまとまったのか、まとまらないのかよく分からないんですけど、3人の方のお話を聞いていて、「私は」こう思いました、ということを言わせていただいて、このコーディネータ役を果たしたことにさせていただきます。
結局、メディアリテラシーというのは、わが国ではまだ制度化されていないわけですから、メディアとのつきあい方学習をやっていこうと、しかもそれを継続的にですね。
それはやっぱり、自分自身の中で実感がないと駄目だと、特に思ったんですね。岡山の2人からは特にそういうのが出たと思うんですけれども。目の前の子どもという表現もあったかと思いますし、12年前のことをもう1回取り上げて言ってくださった高橋さんの言葉の中から、私にとって、これは人と違っても良いですよ。そういう意味では、情報教育の研究指定校になったというのも1つの必然性だったわけで。自分自身の中にどういうメディアリテラシー、メディアとのつきあい方学習の芽があり、それを育てることができるのかというのが自分で見えていないと続かないという気がしますね。そのことをもう一度フロアの先生方も確認していただきたいと思います。
それから右下をご覧ください。メディアとのつきあい方学習のトライアングルの右下を占めるのは、やっぱりその多様性ということだと思うんですよね。これしか駄目だと思っていると、自分の中では続けられても、他の人とはつながりにくいだとか、私は自分の中でもだんだんしぼんでいくんじゃないかと思うんですよね。これは典型的には高橋さんの報告の中にもあったように、ある時期はこういうことをやっていても良いんだけど、長い時間を見通して見てみると、いろんなことをやっているということが、メディアリテラシーを、少なくともわが国で発展させる秘訣の1つかなぁというふうに思います。
左下なんですけど、人の力を借りるということです。吉野さんのキャッチコピーにもあったかと思うんですけれども、人に力を貸してあげるということも同じように考えて良いんと思うんですけれども、自分だけでやるんじゃなくて、人をうまく巻き込みながらやっていく、というのがやっぱり秘訣になってきますけれども。具体的には、保護者の方を味方につけるとかね、影山さんの報告にあったかと思いますが、やはり良い具合にパートナーというか、協力者というのを使っていく、それは、結構いろいろなところに落ちている、というと言葉が悪いですね、散らばっているという感じでしょうか。アイデアについても同じでしたけど、協力者についてもいろいろあるんじゃないかなぁと、今日の3人の報告の中から見ることができように思います。
私は、これを最後に、プラスアルファというか補足して終わりたいと思うんですけれども、メディアリテラシー、メディアとのつきあい方学習の力を高めていくためには、同じ指向性を持つ人とだけでやっていても駄目だなという気がするんですよね。
つまり一番上の「出稽古」ということなんですけれども。ある意味では、今日の報告者はみんな情報教育と、あるいは総合的な学習とタイアップして、私がここで言う出稽古をやっていたのかもしれません。
まだ、国語のグループ、これもすごく情報教育色を強めていますからね。あるいは、図画工作、美術とかはどうでしょうか?いろいろ、メディアリテラシーとメディアとのつきあい方学習と絡みそうな相手がいて、そこと交わりを持ってみることが、ある意味ではメディアとのつきあい方学習の独自性を確認することにもなるし、もしかしたら、味方を増やすことができるかもしれません。
今日のこの顔ぶれを見ていると、私がここで願っていることが、この場がその実現の1つのきっかけとなっている気もするんですけれども、さらに3人の方にも、あるいは、こちらでフロアで聞いておられる方にも、この三角形の頂点の部分を強く意識していただければ良いかなぁというふうに思います。
しかし、それもこれもやはり必然性がなかったら一時的なもの、あるいは同じことの繰り返しに終わってしまうので、今日布団に入ってですね、私はなぜメディアリテラシーが好きなんだろうとか、メディアとのつきあい方学習を始めたのか、という自分自身の実践心、その振り返りということをお願いしたいと思います。
いろいろと3人の先生方には、時間的なこと、内容的なことご無理を言いましたし、手を挙げてもないのにあててみたりとかね、いろいろフロアの皆さんにもご迷惑をおかけしましたけれども、それが私に与えられた役目だったので、気が弱い私もなんとかやらせていただきました。
これで十分でないところは、最初のご案内の通り、後の講演の方が、豊かにまとめて下さるということで、一応のしめにしたいともいます。